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2009年06月29日

59.別れ・・・そして夢へ(12)

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予選開始と同時に、各チームから次々とF1マシンがコースインを始める。

ピンクのヘルメットを被った恭子も周回を始めた。

モーターホームの中では、しおりがコースの模様を映しているテレビモニターを見つめている。

「まーま、これ!」と指を差して喜ぶ姿が愛らしい。

恭子が小学生の時に始めて乗ったレーシングカート。

F1も体にかかるGはカート以上に激しいが、高級車のようにマイルドなクルマだと恭子は感じている。

『でも、攻め甲斐がある!』

路面との対話はカートほどダイレクトではないが、ドライバーとの一体感は極めてレベルが高い。イメージしたことの8割近くを、このマシンが実現してくれる。

ホームストレート前を通過したとき、恭子はタイムアタックを開始していた。

「まだ様子見程度のタイムで充分だからな!」恭子の耳に宮城から無線が届く。

すでにコース上で5人がファステストを更新していたが、恭子が0.8秒以上速いタイムを出してピットに戻ってきた。

「しばらくこのタイムで様子を見ましょう。」恭子がマシンの中にとどまったまま、ピットの中で無線を介して宮城に提案した。

「何か変えてみたい所、気になる所はあったか?」宮城が確認する。

「このまま、マシンが機嫌を損ねないでいて欲しいってことだけ。」

恭子の目がコクピットの前に置かれたラップチャートモニターを睨みつけている。

「Q1はこのまま確定するかな?」宮城が少し期待を込めてスタッフに言った。

恭子のタイムは4位まで下がってそのまま動かない。

「そうですね。下位チームだけアタックを繰り返してますけど・・・そろそろ時間ですから。」




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posted by 北乃 道晴 at 12:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 059.別れ・・・そして夢へ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

59.別れ・・・そして夢へ(11)

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「まだ走れるうちに、1年だけF1にチャレンジさせて欲しい。」
これには宮城も驚いた。

しかも恭子の決意は固かった。

何度かのテストを行い、恭子の実力の高さを宮城は再確認した。

恭子と顕児の娘、しおりが2歳を迎えた年に、1年間だけなら活動できるだろうと、宮城、恭子、白鳥家、角谷家で判断し、恭子のF1参戦が決まった。

そして、シーズン開幕と同時に恭子の快進撃が始まった。

「今年1年しかない。」この背水の陣に身をおいたエントリーが、恭子の集中力をさらに高めた結果でもあった。

「果たせるはずだった顕児の夢、宮城の夢を私が取り返す。」

それこそが、F1でのワールドチャンピオンシップ獲得だった。

そして、恭子が幼い頃にはるかから受け継いだ「人類初」の夢、恭子にとっては女性ドライバーによるF1ワールドチャンピオンへの最後のチャレンジでもあった。

「さっき、カートマガジンの竹田さんが来てたよ。絶対に結果を出してくれって。」宮城が嬉しそうに呟いた。

「やはり、立ち止まっちゃいけないんだろうな。」

「ええ。でなきゃ、顕児クンが頑張ったことも無に帰しちゃう気がするんです。」恭子も同意した。

22歳最後のチャレンジは大勢の仲間たちの思いも詰まったチャレンジだ・・・と、この1年間、恭子は自分に言い聞かせ続けてきた。



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posted by 北乃 道晴 at 08:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 059.別れ・・・そして夢へ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月28日

59.別れ・・・そして夢へ(10)

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「俺も、ドライバーを失うっていう怖さを、嫌というほど考えさせられたよ。」

恭子が妊娠中毒症から心臓発作を起こして危篤になった後、早産でしおりを出産し、辛うじて一命を取り留めたのが3年前。

そのまま心臓の大手術も受け、3ヶ月の入院生活を送った。

その間、恭子の母親と顕児の母親が交互にロンドンに来てしおりの面倒を見てくれた。

その翌年の中盤戦、ヨーロッパラウンドのフランス・グランプリで、直線区間でマシントラブルで急に減速したマシンに顕児が追突。

バトル中だったこともあり、前車が陰になっていて、トラブルを起こしたマシンの確認が遅れたらしい。

300km/h以上のスピードで、止まりそうになっているマシンの真後ろに突っ込んだ顕児のマシンは大破。顕児は即死だった。

その瞬間まで顕児はポイントリーダーで、その年のシリーズチャンピオンの最有力候補だった。

顕児が事故死を起こしたとき、宮城はミヤギGPの撤退を覚悟した。

が、その翌年、恭子から連絡を受けた。



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posted by 北乃 道晴 at 23:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 059.別れ・・・そして夢へ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする




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